ShiRaSe’s blog 元証券マンの雑記

20年の証券リテール営業を経験し、私見を雑記的に書き留めていきます。

変革が必要な日本社会

コロナによって明らかに社会構造が変わってきているが、日本全体が陥っているのは時代にそぐわない組織や慣習が温存された結果生じた機能不全状態ではないか。

コロナが発生しなかったとしても、以前からデジタル社会への対応、気候変動の問題や格差拡大による社会的分断、米中摩擦に発する国際政治上のパワーバランスの転換など、明らかな変化があった。コロナウィルスの蔓延はそれらの要因をよりはっきりとあぶり出し、変化を強いたきっかけであったとみることもできる。ESGやSDGs自体はコロナ前から叫ばれていたことでもある。

なぜ日本社会が停滞し脱却できずにいるのかを考えるに、日本文化特有の問題があるように思えてならない。

一例を挙げれば、年功世列や組織の高齢化。

社会全体が高齢化している以上それを避けるすべはないが、経営層が高齢化していく中で、しっかりと経営や知識を禅譲できているかどうか。過去の成功体験に基づく判断は得てして保守的になりがちである。失敗やリスクを恐れる風土も醸成されているからであろう。出世のゴールとしての社長職があるという仮定で話せば、自分の任期中は問題が生じないよう事なかれ主義に徹し、思い切った経営改革で晩節を汚すようなリスクは取りたがらないのではないか。バブル期に築きあげた先人たちの歴史を踏襲し、思い切った転換ができなかったことこそ、失われた20年の教訓であろう。

そして出世コースに乗り順当に役職を上げていくメンバーは、大抵同じような学歴キャリアパスである。組織でトップに立つ人材が同質化されていれば、財界自体も硬直化するであろうし、政治・行政の世界でもそれは同じであろう。その時代に即した価値観や方法論を常にアップデートする必要性が変化の激しい現代には求められている。

税制、法制度の面からみても終身雇用が前提になった設計になっており、生産性が高い産業への労働力のシフトが起きづらい。短いサイクルで産業の浮沈が起きているにもかかわらず、優秀な学生はその時代の先端企業に入社し拘束されるようにキャリアを続けていかなければ安定を得られない。10数年前までは銀行が就職の花形であって、ITに行くのはハイリスクとみなされていたが、就職ランキングを見ると全く逆の評価になっている。終身雇用が、成長、安定、成熟し縮小していくという産業サイクルに優秀な人材を固定してしまっている。企業側も、規模が大きく雇用を守られるために利益率の低い事業を死守しようとするし、新規事業には消極的になってしまう。その結果が日本経済の停滞ではないか。

あらゆるランキングで日本は沈没してきている。時価総額ランキングでみても上位50社にはいるのは、円安を考慮してもトヨタのみであるし、IMF統計の2022年4月時点での1人当たりのGDPは28位。賃金の伸び率もこの20年間でほぼ先進国の中で最下位に近い。世界の大学ランキングにしても結果は同様であり、今必要なのは社会そのものが変わることである。

ただ日本にも光明はある、過去の栄光を否定するような変化を遂げた好事例がないわけではない。富士フィルムソニーなどは時代に合わせ自らを変革した象徴である。富士フィルムはデジカメの登場とともに「フィルム」からの脱却を目指し、ソニーはモノ作りからの脱却を目指し会社の意義や目的(パーパス)を徹底的に自問した。一方、成功体験から抜け出せず、アジア勢のキャッチアップに抵抗できなかった液晶や半導体といった例もある。

人間は楽な方を選ぶ習性がある。現状を維持し、同じようなコミュニティで過ごすことの方が心地よいのは当然ではあるが、思い切った改革で失った地位を取り戻せるように日本全体が取り組まなければならない。女性や若年層、外国人材を積極的に登用し多様性をもって常識を打破できるような社会形成は喫緊の課題であり、選択と集中という縮小の発想でなくこれからの時代に必要なのは多種多様な価値観を許容する拡大の発想ではないか。

近代日本を振り返り、奇跡的な成長を遂げたのは明治維新や戦後復興期といった歴史的に重要な過渡期であった。いずれも旧体制が否定され、まったく新しい体制への移行が起こってからであったというのが示唆的でもある。